東日本大震災後の石巻で出会った、災害があったから救われた子どもたち――TEDICが描いた支援のかたち

復興支援活動の記録

Volunteerカテゴリ(2013年/門馬優)

東日本大震災という「災害」が「救い」になる現実

2011年3月11日、東日本大震災が東北を襲い、石巻の街は津波にのみ込まれました。災害支援の輪が全国に広がりました。けれど、もう一つの現実が顔を出します。被災が「救い」になってしまうという、あまりにも皮肉な真実です。この現実を突きつけられたのが、のちに教育NPO「TEDIC(テディック)」を立ち上げる門馬優さんでした。

震災当時、門馬さんは大学4年生でした。教員免許を取得し、卒業を控えて東京で暮らしていました。そこに3.11がやってきました。母親から故郷、石巻の惨状を聞き、ボランティアとして石巻へと赴きました。現地に降り立った彼を待っていたのは、想像を超える、瓦礫と静寂に覆われた光景でした。その現実を前に、彼はショックで倒れ、しばらく現場を離れざるを得ませんでした。

それでも再び立ち上がったとき、彼の中には新たな問いが生まれていました。「支援とは何か」。その問いこそが、後に子どもたちの「日常の器」をつくるTEDICの出発点となっていきます。

石巻の被災地で見えた“救い”の瞬間と子どもたちの笑顔

東日本大震災・避難所の子どもたち

震災から2週間後、門馬優さんは故郷・石巻にボランティアで入りました。彼は避難所で、忘れがたい光景を目にしました。二人の男の子がオセロ盤を手に持ち、激しく揺らして遊んでいたのです。駒が飛び散り、床一面に白と黒が散らばる。その様子を見て門馬さんが「何の遊びなの?」と尋ねると、返ってきた答えは「これ、“津波ゲーム”っていうんだよ」でした。

子どもたちは、自分たちの体験した恐怖を、言葉ではなく「遊び」で表現していたのです。門馬さんは「胸の奥がズシッと重くなった」と語ります。彼らがなぜこの遊びを作ったのか、想像することしかできませんでした。けれど、この小さな出来事が、「子どもの力になりたい」という強い思いを、彼に芽生えさせたのです。

震災孤児との出会いが導いた「学びの支援」

震災から2カ月後のゴールデンウィーク。門馬さんは、被災した子どもたちを対象に、1泊2日の合宿を企画します。母親たちの「子どもたちに少しでも笑顔を」という願いを受け、お寺を借りて実施しました。季節外れのスイカ割り、花火、鬼ごっこ、そして夕食のバーベキュー。久しぶりに子どもたちの笑顔がはじけた時間でした。

その場で、ひときわ印象に残ったの女の子がいました。高校3年生の彼女は常に笑顔で周りを気遣い、「お皿ある?」「たれ足りてる?」と年下の子たちに声をかけていました。門馬さんが「どうしてそんなに明るくいられるの?」と尋ねると、彼女は静かに答えました。「彼氏のお父さんに言われたんです。『お前が笑って生きることが、お父さんとお母さんが一番喜ぶことなんじゃないか』って」。彼女は津波で家族を失った「震災孤児」で、彼氏の家に身を寄せていいました。

涙を見せず、人のために笑うことを選んだ高3の女の子の姿に、門馬さんは言葉を失いました。「看護師になりたい」と夢を語る彼女でしたが、成績は学年で下から2番目、進学は難しい。それでも門馬さんは決意します。「たった一人でも支えられるなら、やる価値がある」と。彼は教材を集め、学習支援を始めました。これが、のちのTEDICの原点となります。

災害ではなく日常に潜む「見えないSOS」

大学院進学後、門馬さんは埼玉県内の公立商業高校で非常勤講師として教壇に立ちました。入学した240人のうち卒業まで残るのは80人という学校です。夜勤をして家計を支える生徒、障害を持つ母を看病する生徒、家庭内暴力に苦しむ生徒。授業中に眠ってしまい叱責され、やがて学校を去っていく。そんな生徒たちは「問題児」ではなく、社会の制度の隙間に落ちた子どもたちでした。

そんなある日、石巻で出会った中学3年生の少年が、忘れられない言葉を口にします。「先生、語弊があるかもしれないですけど、僕、震災が来て救われたと思っているんですよ」。その家庭では、父親がリストラ後に酒に溺れ、母親に暴力を振るい、姉は家出、そして少年は不登校のまま社会から孤立していました。けれど津波によって家が流され、避難所に移ったことで、初めて周囲の目に触れたのです。ボランティアが母親のあざに気づき、支援が入りました。

「災害という“非日常”がなければ、誰も気づかなかったかもしれない」――門馬さんは、その現実に強い衝撃を受けました。石巻の少年と、埼玉の生徒たち。場所も状況も違うのに、根底にある構造は同じでした。災害が来ないと救われない、そんな社会は間違っている。だからこそ、彼は決意します。災害を待たずとも、日常の中で人を支えられる「器」をつくる。TEDICの挑戦は、そこから始まったのです。

東日本大震災の石巻が映し出した支援の盲点

非日常の中に現れた「支援の構造」

門馬さんが震災の現場で見た子どもたちは、いずれも同じ問いを突きつけていました。彼が感じ取ったのは、被災地と日常の境界に潜む、社会の構造的な欠陥です。災害という非日常が発生すると、人も制度も動き出す。避難所という「開かれた場」に移された瞬間、孤立していた家庭や子どもの痛みが可視化される。ところが、日常に戻ると、再びそれらは見えなくなる。つまり、日本社会では「支援」が非日常に依存していたのです。
門馬さんの胸に残った「津波ゲーム」は、子どもたちの心が壊れたサインでありながら、同時に「語れない痛み」を誰かに見てほしいという叫びでもありました。非日常だからこそ、子どもたちは無邪気に恐怖を表現できた。そこには、日常の中で押し殺されてきた「見えない声」がありました。

日常では救われないという矛盾

災害とは無縁だった埼玉の高校の生徒たちも、また別の形で「非日常」に追い込まれていました。家庭の崩壊、貧困、暴力、孤立――それらは災害ではなく、静かに人を壊す「日常の災害」でした。しかし、こうした子どもたちは、制度の枠外にいるために「支援の対象」として認識されません。生活保護や児童福祉、学校制度のどれにも該当しない狭間に落ち込んでいたのです。門馬さんが見つめたのは、まさにそのグレーゾーンでした。
一方で、石巻の少年は、津波によって避難所という「公の場」に移されたことで初めて人とつながることができました。災害が起きなければ助からない、というこの構造は、支援が「壊れた社会」を前提としていることを意味します。門馬さんはこの矛盾を、「災害を待たなければ支援が届かない社会」として痛烈に自覚したのです。

支援とは「関わりのデザイン」である

門馬さんがTEDICでつくろうとした「日常の器」とは、物理的な場所ではなく、人が人を気づかせ合う関係そのものでした。彼が体験した現場に共通していたのは、「誰かが見てくれる」ことで人は変わるという事実です。避難所で母親のあざに気づいたボランティア。合宿で他者の笑顔を支えた女子高生。どれも制度ではなく、関係が支援を生んでいました。

石巻発・TEDICが示した“教育支援”という復興のかたち

教育現場に埋め込まれた「支援の構造」

門馬さんの経験が教えてくれるのは、災害によって可視化された課題が、実は日常の教育現場にも深く根を下ろしているということです。
「支援」とは何かを問うとき、私たちはしばしば「何をしてあげるか」という行為に目を向けがちです。しかし、門馬さんが実践してきたのは、「どう関わりをつくるか」という関係性のデザインでした。TEDICが学習支援と居場所支援を分けないのも、教育が知識の伝達だけでなく、感情の受け止めや安心の共有に支えられているからです。学びとは、単に教わることではなく、「誰かに見てもらう」経験の中で生まれるものなのです。

無償の原則が生む「公平な器」

TEDICの放課後教室では、授業料を一切取っていません。この「無償の原則」には、明確な社会的メッセージがあります。貧困や家庭の事情によって、学ぶ権利が制限される社会構造そのものが「不公平」だという認識です。
「原因のある側ではなく、奪われた側が負担する社会はおかしい」。そう語る門馬さんの姿勢は、災害支援にも通じます。被災者や支援弱者が「支援を受けるための努力」や「心理的コスト」を強いられる構造をなくすこと。それは、平時における教育活動の中でこそ実装できる「公平性」の実験でした。誰もが遠慮せずに「助けて」と言える場所を、平常時に整えておく。その理念がTEDICの根底にあります。

支援の循環を生む「当事者の再登場」

TEDICで育った子どもたちの中には、やがて後輩を支える側に回る子が増えてきました。荒っぽい言葉で「おい、おまえらちゃんとやれよ」と声をかける青年もいれば、勉強を見てあげたり、相談に乗ったりする若者もいます。彼らはかつて、支援を受ける側にいた当事者です。
この「支援の循環」は、制度では作れない関係の再生です。門馬さんが最初に受け取った「人に支えられた経験」が、次の世代の行動として返っていく。支援が一方向ではなく、時間をかけて円環を描く構造に変わる――それがTEDICの描く「共助のかたち」でした。
被災地で育まれたこの仕組みは、地域社会のあらゆる場面で応用できます。学校、福祉、そして防災。支援の文化を持続させるには、制度よりもまず「語り継ぐ関係性」が必要なのです。

東日本大震災から15年、石巻が教える“共助社会”への道

災害を待たない共助社会へ

門馬さんは「震災が来ないと支援が届かない社会はおかしい」と語りました。この言葉は、復興支援の総括ではなく、これからの社会への問いかけです。TEDICが目指してきたのは、非日常の中で発動する「緊急支援」ではなく、日常の中に埋め込まれた「共助の習慣」です。
災害が起きたとき、人々が自然に動き出せるのは、平時に関係性が築かれているからこそ。震災という非日常の中で可視化された「支援の本質」を、いかに普段の暮らしに持ち帰るか。それが次の世代の防災教育における最大の課題です。TEDICの活動は、その実践的なモデルといえます。教育、地域、防災という異なる領域をつなぎながら、「人が人を支える場」を更新し続けているのです。

次の15年へ――支援の文化をどうつなぐか

2025年、震災から15年を迎えようとする今、私たちは「支援の成熟期」に立っています。復興の現場で語られた「共助」「自立」「つながり」という言葉を、単なる美談として終わらせるのではなく、生活の一部に還元できるか。
門馬さんの目指す社会とは、困難を抱えた人を特別扱いするのではなく、「誰もが一時的に支援を必要とする存在」であることを前提とした社会です。
支援とは、強者が弱者を助ける行為ではなく、立場を入れ替えながら生きる人間の自然な相互作用である。その文化をどのように次の世代に手渡していくか――それが、東日本大震災の石巻が私たちに残した最大の宿題です。
TEDICの放課後教室で交わされる何気ない会話、笑い声、ため息。そのひとつひとつが、非日常を待たずに人を支える“日常の器”として、静かに未来へと息づいています。

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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