にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part3−2
津波の街だった石巻で子供たちの遊び場づくりを始めた「にじいろクレヨン」。9年間の活動の中で、印象に残っている子どもの姿と、ボランティアの学生について聞いてみました。
動画は2020年6月30日「復興ボランティア学」、にじいろクレヨンの代表・柴田滋紀さんのお話です。2020年はオンライン開講だったので、授業内容を4本の動画で提供していただきました。今回は2番目の動画の2/3本目になります。
今までの中で一番印象に残ってた子供ってどんな子でしたか
ひとりの男の子を紹介したいんですけど、その当時1年生だった男の子ですかね、具合がちょうど、なにか熱があって、37度かそれ以上の熱があったみたいなんですけどね。でも言葉は、もういつも通り「クソ!」とか、「死ね!」とか、「バカ!」とか、「やめろ!」とか言ってるんですけども、体の方が具合が悪いから、もうあの私の方にぺターンって。口では、暴言を言ってるんですけれど、体の方は甘えてくる。そういうのを見て、体はもう甘えたいっていうか、そばにいてくれっていうのをもうすごい出しているのを感じました。
次の週とかには、もう体調は治っていて、甘えても来るんですけど、暴言はいつもの通りでした。そういうのを見ていたので、本当の体の方は、そうやって人を求めていることを改めて実感するので、何かこう受け止めようとか思ってたのを憶えています。
印象に残っている石巻の大学生ボランティアはいますか
印象に残ってる人は3人。もっといるんだけど3人かな。佐藤夏実さんっていう最初の、本当に先生との、きっかけもその子がいたからだったんです。もう本当に子供達からもずっと好かれてですね。その子の何が良かったのかなって思うと、やっぱり寄り添う力だったのかなと思ってます。まず本当に子どもたちが何に困ってるか、もの言わぬ子供たちの気持ちを汲み取って、ゆっくりとお話しを聞いたりとか、本当に遊んでくれていました。ずっと避難所の活動の時から始まって仮設住宅までも、やっぱり大事だったのは継続してきてくれてたことかなて思ってますね。そのことによって、子供たちと信頼関係ができて、良い時間を子供たちにつくってくれていたんだなと思っています。
二人目は、ぽんちゃんっていって、最終的にはうちのスタッフにもなってくれたんですけれども。彼はとても面白い人でした。子供も楽しませるだけでなく、大人も楽しませてくれて、みんなから「ぽんちゃん」って呼ばれて親しまれていました。3人目はエンジン。エンジンも先生のゼミの生徒でした。彼は体動かすのは得意だったので、もう小学生からすると良いお兄ちゃんっていう感じで、しかも、なにせやさしいかったので、小学生は彼にいたずらしたりとか、一緒に楽しむことができる人でしたね。
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