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2020年にじいろクレヨン Part2-3
津波の街だった石巻で子供たちの遊び場づくりを始めた「にじいろクレヨン」。避難所での生活の中で、柴田さんは自分で解決のできることを見つけて行動しました。やがて、その行動が子どもの遊び場づくりへと広がっていきました。
動画は2020年6月30日「復興ボランティア学」、にじいろクレヨンの代表・柴田滋紀さんのお話です。2020年はオンライン開講だったので、授業内容を4本の動画で提供していただきました。今回は3分割した2番目の動画の3/3本目になります。
避難所の子どもたちを見て最初にやったことは何でしたか
本当の最初の最初でいいますと、さっき話しましたけど、うちの3年生と5年生の甥っ子と姪っ子で、まずはトイレ掃除から始めました。避難所で誰も掃除をする人がいなくて、何か出来ること何かねっていって、じゃトイレ掃除でもすっかって、まずはそういうことから始めました。
最初は物資も何もない状況からのスタートだったんですけれども、門脇保育所の保育士さんが、どこからかピアニカを見つけてきてくれて、それを使って子どもたちに音楽のチューリップの花とかを教えてくれていました。そうすることで子供達も「咲いた〜」みたいな感じで歌うんですけど、それに合わせて寝転がってるおばあさん、おじいさんも一緒に歌ったりして。なんか本当にその時って、電気も何もない状況で、そうやって音があるだけでもみんな明るい気持ちになれたことを憶えています。
震災のときの門脇小学校の様子はいかがでしたか
津波だけの被害ではなくて、火事が発生しました。津波に押し寄せられた車から引火して、学校が燃えました。この時は私の印象としては、門脇小学校だけじゃなくて、石巻全部が燃えちゃうんじゃないか、もう日和山から全てが燃えてしまうんじゃないか、というぐらいの勢いの火でした。結果としては、門脇小学校近辺で火は止まったんですけれども、かつ門脇小学校も全部が燃えたわけではなくて3階がいちばん燃えました。3階はガラスが破けてるのが多かったです。この時はだいたい100人ぐらいの人たちが、小学校の中に閉じ込められた状況で、その人たちを裏山から引っ張り出して救助するという活動しました。
学校自体はもうこの通りそのままの状態で、その後も半年間はこのような状況でした。だんだん整理というか、あの瓦礫を撤去していって、校舎だけが残されて、8年間この状態で残っていました。2019年から解体が始まって、いまは震災遺構として半分以下の形で残されています。
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