9.売るためにはデザインが鍵だった

つむぎや

最初は自分たちでデザインを考えて、鹿の角のアクセサリーをつくり始めた。あるとき仙台パルコの催事に出展してみたものの全く売れなかった。それがきっかけでデザイナー探しが始まった。しかし、鹿の角は素材自体にバラツキが多く均質なものがつくれないため、引き受けてくれるデザイナーは見つからなかった。ようやく、1人のデザイナーと出会い、ドリームキャッチャーをモチーフにしたOCICAのデザインが完成した。

2014年5月20日 つむぎや 友廣裕一 Part9

最初は誰も関心を持ってくれなかった

最初は、デザイナーとかも何もいなくて。石巻出身で東京の大学を9月に卒業して、4月に入社するまで半年間時間があるからインターンをしていた、アクセサリー作りが趣味だった女の子がいました。素人なんですけど、「こんなのどうですかね」みたいな感じで「師匠」の技術を使って、考えられるものをいろいろ作っていました。

作っていたら、仙台のパルコで催事をやるから、置いていいよとを言われたんですね。「まじっすか」って、でもなんかあまり安く売っても僕ら続けていけないから、それなりの値段をつけないといけないなと思って。たぶんこれ2千円ぐらいで売ったんですけど、5日ぐらい置いて1個も売れなかったんです。まじ1個も売れなくて。やべえと思って、これどうなっていくんだろうなと思いました。

これは根本的に何かを考え直さないといけないと思って、そこから「これはデザインというのが必要なんじゃないか」と思って、いいデザイナーさんいないかなと思っていろいろ相談してたんですね。実は最初から相談してたんですけど、鹿の角というのがむずかしすぎて、いろいろなデザイナーさんに相談しても何も形にできなかったんです。

というのも鹿の角って一本一本全然太さも違うし、色も違えば、表面の凹凸もちがって、曲がり具合も違ってみたいな、一個一個の特殊性が大きすぎて、一つの商品に落とし込むというのは結構難しいんですね。

でも僕ら将来的なこと考えてインターネットとかで売労としていました。しかし、一つひとつの商品が違っていたら、写真を見て買ったのに全然違うというクレームが来るじゃないですか。そのへんをうまく一つの商品にまとめられるようにできないかなと思ってたんです。

OCICAのデザインが完成した

この後デザイナー、いま横浜にある「NOSIGNER」というデザイン事務所の太刀川(英輔)さんという人を紹介してもらったんです。その太刀川さんにさっそく浜まで来てもらって、おかあさんたちと交流してもらいました。そこで、師匠に教わったピカピカに磨ける技術だけはあるというのを太刀川さんに知ってもらって、これをもとにいいデザインを考えてくださいというのをお願いしました。そのあと、いろいろやりとりしながら最終的に出てきたのがこのデザインだったんです。

これはドリームキャッチャーという、インディアンの人たちのお守りをモチーフにしてるんです。それは、悪い夢を食べて良い夢を運んでくれるという意味合いがある。かつ鹿の角というのをいろいろ調べると、日本では古来から水難のお守りとかで使われてるというのが分かって、そういうのも意味づけとしていいんじゃないかというので作り始めました。

途中から、鹿の角の先っぽの細いところ、ネックレスは太いところなんですけど、細いところはピアスにしたらかわいいんじゃないかというのでピアスを作り始めて、ブランド名はOCICA、牡鹿半島のオスの鹿の角なのでオー・シー・アイ・シー・エーで「オシカ」というブランドでいこうということで始めました。

動画 Part9(2014年 つむぎや)


やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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