6.「ありがとう」から続いた15年

エッジ

大学生時代に割のいいバイトと思って職場に行ったら、在宅障害者のボランティアだったという河内さん。訪問先で「現代の竜宮城」並の大歓迎をされて、引くに引けなくなります。覚悟を決めて脳性麻痺の人の入浴を介助したところ、とても感謝され何かが変わったそうです。そんな断ることのできない障害者との関わりから始まって、いままで15年間NPOをつづけているそうです。

2014年5月13日 Edge 河内崇典 Part6

食事で歓待されて、入浴介助をやってみた

皆さん知ってます。現代に竜宮城ってあるの。僕、そのとき初めて竜宮城見たんです。家に入ってまさかと思ったけれども、見たこともないくらいの唐揚げが、ものすごい山積みにされていて、見たこともないご飯が炊かれていて。小学生以来の誕生日パーティみたいなのが、僕の竜宮城だったんですよ。まさかと思ったけれども、僕たちのためのおもてなしですよ。

 そのとき皆さんどうしますか。そこで「おれ今日、辞めるんで食えないんですよ」みたいなの言えます。言うやつおる。言えないでしょう。普通食うよ。食うっしょ。残す。お母さん二人暮らしやねん。6合ぐらい炊いてもうたご飯どうする。それ見たときどうする。無理くり詰めるやろう。普通残せへんやん。

それそこですよ。結局悩んだんですよ。おれ食わないですよって言おうかと思ったけど、そんなん無理ですよ。食ったんですよ。食ったらどうします。あなた方は一応お風呂で来てるわけですよ。一応お礼に裸になるでしょう。

 ていうような形で一応飯食ったし。見よう見まねで裸になって、脳性麻痺の人と一緒にお風呂に入って。そのときに障害を持った人たちに関わるっていうのは、すごく難しいことだと思ったんです。もっともっと勉強してできる人たちが、そういう支援をしているだろうし、自分自身みたいなレッテルを貼られた、偏見の塊って言われたような人間がやってはいけないことだと思っていた。

間違えて偶然にも一緒にお風呂に入って、障害の持った人と何も分からずコミュニケーションを取って「かゆいとこないです」か、「熱くないですか。熱いですね」とか、「気持ちいいっすね」とか言うてたら、そんな悪い気しなかったんですよ。

「ありがとう」の言葉に感動

介護技術もないから、出てきたときに、お母さんが大きなバスタオルを持っていて、「どうやった、ポカポカになった、ありがとうな」みたいな。「いや、お風呂入れてうれしいなみたいな」こと言われたときに、そんなに嫌ではなかった。

そこからなんか自分の中で変わっていって、ほんで「ありがとう」って、言われたいわけではないけれども、なんか「ありがとう」って言われて、「いえいえいえ、やれることやっただけです」みたいなことぐらいから変わり始めました。3カ月ぐらい週3回お風呂に行ってたら、辞めよう辞めようと思っていたけれども、辞めれなくなってくるんですよ。

 これもう3カ月後には冷蔵庫開けてヤクルト飲んでたくらい、その家の子みたいになってもうて。違うで、おかんも年やから、おれ専用のヤクルトとか買うてくれてあるんですよ。ヤクルトって賞味期限みたいなんが来よって、なんとか飲まないと、腐らしたらもったいない。ヤクルトの一気飲み何回せなあかんか。気使いなのか、小心者なんか分からないんですけど。

そうこうしてるうちに、15年たって今ここみたいなっていうような感じです。人生ものすごいはしょりましたけれども。はい。15年いまシュッと戻しました。というような感じで、もともと学生のころは本当に何もできなかったっていうか障害を持った人たちを支援しようと思ってやったのではなくて、ひょんなきっかけから僕は断ることができず、15年くらいこういった活動を続けています。

動画 Part6(2014年 Edge)


やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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