学生の時に障害を持つ人と出会って人生が変わったという河内さん。ここではちょっと話が外れて、大学進学までのエピソードを話しています。実は河内さん、高校時代は全く勉強ができずに、12教科中11教科も赤点でした。それでも進学をあきらめずに、浪人してようやく大学へ入学しました。
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2014年5月13日 Edge 河内崇典 Part3
あまりにも勉強ができずに浪人生活
NPOはミッションをよく掲げます。例えば、自分たちはなんのためにこの活動をしているのか、どうしてそのような課題を解決したいと思っているのかっていうことです。僕自身は学生のころに障害持つ人と出会って、そこから自分の人生っていうのが変わっていきました。
皆さんと一緒とまでは言いませんけども、僕自身勉強がすごく苦手で、だから高校のときは仮進級、赤点が12教科中11教科もあって、天才的でしょう。1教科なんやってんって世界史なんです。世界史だけが黒字っていうか黒点だったんですけど、それでも、たかだか50点しかなかったんです。
12教科中11教科赤点で、親も言うてるし大学には行かなあかんのかなって、専門学校見つけることもできないし、もちろん働くっていうのもまだまだ考えられないしっていうところで、実は高校のときは全然勉強をしてなくて浪人しました。
浪人してもチューターって予備校の先生に渡されたのは、中1からの英語をやり直すって言われて、いやいやいや本当ですかと。なぜかそのときの予備校の先生はやたらヤンキーに対して強い先生で、熱血派の先生だったんですよ。意味もなく遅刻するやつにビンタするし、これで予備校なんかなっていう熱血高校ドラマみたいな感じでした。
そんな感じなのに、なぜかやたらヤンキーの多いクラスで、一番下のクラスだったっていうことなんですけども、遅刻も多いし、みんな寝てるんですよ。ほっといたらええのにそのチューターは「立て!」とか「出て行け!」とか、まさか予備校なのに、そいつら出ていきよるんですよ。そんなクラスで1年間勉強して、なんとか偏差値を10伸ばしたんです。画期的でしょう。偏差値って10も伸びるんです。
現役時代の失敗を取り返す
僕ね現役のときあまりにも勉強できなかったんで、もしかしたら芸術のセンスがあるんじゃないかと思って。僕左利きなんですよ。あまりにも、やっても勉強できなかったから、左利きっていうのはなんか芸術的に長けてるっていうのがあって、僕、唯一大阪芸大だけ受けてるんです。
そのときに縁側の絵を描けって言われたんですけど、その「縁側」っていう漢字を読めなくて、とりあえず自分の夢描いといたら行けるかなみたいな夢を描き、それで昼からデッサンの縁側ですね。なんとなく皆さん小学校で習うじゃないですか。四角描いてこうやって出したらなんか遠近法みたいな。これ使ってサザエさんところのタマが寝てるような縁側を描こうと思って描いたんですけど、見事に平面から立体にならないんですよ。
タマがひどくて、タマが気に食わんからタマの部分だけ消してたら、画用紙が削れ始めて、でも結局全部白紙にして、危ないと思ってこれ恥ずかしいと思って伏せて隠してたら、案の定先生が回ってくるわけですよ。いや、もうおれ白紙やからええって思いながらも、ポンポンポンって肩たたかれて、いやいやいやもう白紙ですよって思いながら、「なんですか」「君、画用紙、裏表逆やで」言われて。
画用紙にツルツルとザラザラがあるらしいんよ。そのおれはザラザラに描いていたから、消しゴムで削れば削るほど画用紙のまるまったやつが出来ていくっていうような、それ以来ちょっと恥ずかしくて勉強しようと思って浪人生になったんですね。
長いですね。僕の人生。これまだ18歳のときの話してますよ。2011年ぐらいまでいきますかね。
そうこうしてるうちに15校大学受けて、これまた奇跡でしょう。大学15校ですよ。どんだけ大変か。2月毎日試験です、土日以外。だから2月の15日ぐらいには、ちょっと試験慣れして、賢くなってきてるんですよ。どこ出てくるかちょっと山が合うみたいな。そんなこんなで唯一15校中1校だけ近畿大学っていうとこが受かって、無事に大学生になったんですけども。
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