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2013年5月21日 ワカツク 渡辺一馬 Part6
仙台で若者の社会参加と人材育成を手がけるワカツクの渡辺さん。所属先のない恐怖から、気軽に会社を設立したものの、借金と赤字に苦しんでいました。そこで原点に返り、9歳の時の夢を実現するため、課題解決のできる人材を育てたいとの思いから人材育成へと舵を切ります。これがきっかけとなって、社会起業家として評価されるようになり、やっと仕事が回り始めます。
普通の大学生が課題解決活動ができる環境をつくりたい
そんなばかがつくった会社ですので、借金まみれです、赤字まみれです。もう大変首が回らなくなりました。首が回らなくなって、でも、何でこんなことをしながら僕は会社をやっているんだろう。自分の同級生とか後輩とかと一緒になって、この会社をやっているのはなぜかなと考えたときに、「そうか、9歳のときに決めた夢をやらなくちゃ」と再度思い直しました。
世界中の子供たちを笑わせられるようなスーパーマンに僕はなれないと25~26歳で気付きましたから、そういう人が生まれる社会をつくろうと思って、人材育成の仕事にかじを切ります。今日はたまたま石巻という所でお話しをさせていただいていますが、通常は仙台の町をそういう若者が育つ町に変えようと思って活動を始めます。
やったことは、自分が学生のときに経験したような課題解決活動を、普通の大学生ができるという環境をつくることです。たまたま波長というか、タイミングが合って、地元の東北大学で、そういう課題解決をインターシップとしてやるというので、一緒にカリキュラムを開発しました。
できたものは破格の4単位を出す講義だったので、今から思うと超ラッキーだったはずです。小さい私立の大学で4単位とか2単位だったら、半年の助走期間でやれると思いますが、帝国大学が4単位を出すというのができたのです。つくった一番すごい人は、韓国から来た経済学の先生で非常に熱意を持ってやってくれました。
せっかく大学まで来ている日本の若者が、全然社会の役に立たない人間になっていくのが、許せなかったみたいなんです。人の国にまで来て、敵をいっぱいつくりながら、その国の大学を変えることをお手伝いして、インターンシップの導入を当時頑張ってやりました。
若者が変われば仙台も変わる
では、そんな世界を変えるような人材が育つ仕組みとはどういうことかというのを、すごく簡単に言います。面白いことをしている大人のところに、面白いことをしたい人をつなげます。人売り・人買いです。そこで何かをしようと思っている大人と一緒に何かを始めます。始めると、実際にいろいろなことが起きていくわけです。
やらなければ何も起きません。何かやれば起きてきます。起きると、たいていの場合広がっていきます。その広がったところにはまた新しい人が入ってきて、そこを広げた人間は、自分で新しい場所をつくるかもしれない。そんなことを2007年ぐらいに模式図的に思い付いて、やってみようと思って始めました。僕らはそれを仲介するコーディネータという仕事をしています。
それだけだと仙台という大きい町は変わらないと思って、民設民営の公民館をつくって、そこで若者と大人がいっぱい出会えるような場所を、7年前につくりました。今で言うと、それはコミュニティーカフェとか、コ・ワーキングスペースとか、フューチャーセンターとかと言うらしいのですが。そんな言葉がないころに、感覚ベースで「人が集まったら何か起きるだろう」と思ってやりました。
これも毎年数百万の赤字を垂れ流して、うちの会社がつぶれかける要因になったんですけれど。こんな場もつくり、別なNPOを仲間と立ち上げて、高校生向けに大人が話をするという団体をつくってたりもしました。ご縁があって、そんなことをしている渡辺というのは、「社会企業家」だと周りから言われるようになりました。僕は起業家になろうと思ってこの仕事を始めたわけでもなかったし、社会起業家って全然聞いたことがなかったのです。
これも2007年ぐらいかな、もうお亡くなりになりましたが、僕のお師匠さんから、「君、それは起業家だ」と、「だから、僕らがやっている市民活動支援も手伝え」と言われました。それから、まんまと言いくるめられて、中間支援団体の理事という仕事をやり始めました。そんなこんなしながら、仙台とか宮城という町を変えていけるかなと思ったときに、あの日がやってまいります。ワカツク 渡辺一馬 Part6
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