1.少年は世界を変えたいと思った(2013年ワカツク)

ワカツク

仙台で若者の社会参加と人材育成を手がけるワカツクの渡辺さん。東日本大震災の支援活動では、仙台でNPOと行政の連携、外部と現地の連携といった後方支援をしていました。最初は少年時代のエピソードから。少年時代いじめられっ子だった渡辺さんは、テレビを見て世界を変えたいと思ったそうです。

2013年5月21日 ワカツク 渡辺一馬 Part1

東日本大震災の復興支援では裏方ばかりやっていました

渡辺一馬
渡辺一馬さん

渡辺一馬(わたなべかずま)と申します。本日このような場を頂きまして、誠にありがとうございます。先ほど来る間際の高速バスで、つらつら書いてたんですけど、仙台の大学の中でとか、他の県の学生の前で、お話をすることはあるんですけども、あのなんていうのかなこれ仙台の人間が結構抱えている勝手な遠慮で、石巻に来て、石巻の皆さんの前でこういう話をするということの大変な遠慮と緊張感を持っています。

というのも、僕がやってきたことっていうのは、そういう意味の現場は何もしていません。物を運んだことはほとんどないし、やったのはたったに2時間、2時間ないな1時間ちょっとぐらい、志津川で牡蠣養殖の重りのために石を土嚢につめるていうのをやったことぐらいです。

先ほどプレゼンをされてた「こども∞感ぱにー」の皆さんのようですね、黄金色には全然焼けておりませんで、すぐターンオーバーして真っ白になるひ弱な、ひ弱って体が大きくてひ弱ってなんか全然意味がわかんないと思いますが、裏方です。まさに裏方ばかりやってました。

宮城県の角田市という、南の方の町の出身でございます。後ほど説明もしますが、会社経営をしましたが、別に自宅は会社経営とかそういうことをしていた人間ではございません。いまではこの通り、身なりがデカいのですが、中1まではいじめられっ子でございました。こういう皆さんの前でお話をするということは大変に苦手な人間です。

仕事で喋ることが増えましたので、喋れるようにはなりましたが、今でも大変に緊張しているます。何と言うか、大量の人間から目線を集めるっていうのは、僕はいじめられてる石を投げつけられたって関係をすぐ思い出してしまうので、すぐ心がしぼんでしまいます。

テレビのチャンネルを変えているうちに大それた夢を持ちました

アフリカ難民とアメリカのホームドラマ
アフリカ難民とアメリカのホームドラマ

僕はいじめられっ子でした。友達がそれほどおりません。というか相手は友達だと思ってたとしても、僕は友達だと思ってないって感じだったので、テレビが友達です。テレビが友達でした。これは9歳の時にテレビを見ていた時の話を今からします。

家に帰ってテレビを見ています。皆さんから見て左側のアフリカの難民の子供たちの特集をやっておりました。それを見て同じ9歳10歳の子が食べるのに困っていて、お家も失ってとか、そういうのを見て大変だなあと思いました。でも、それぐらいです。9歳ですから「思いました」で終わります。

運命が変わったっていうのは、チャンネルを変えたからです。だってつまんないから。そんなね子供が大変だって、自分と同年代が大変だって見てんのは、僕の心には耐えられなくて、チャンネルを変えました。

そしたらクリスマスツリーの下に、いっぱいプレゼントがあって、そのプレゼント交換をするっていうアメリカのホームドラマがやっていました。20年以上前なんで、NHKの夕方アメリカのホームドラマは今もやってんのかな。なんかそういう番組だったんですけど、それを見ていました。

想像がつかないかもしれませんが、僕が子供の時は、まだそんなに豊かじゃなかったので、プレゼントを買ってもらえることが普通ではありませんでした。クリスマスの時に、「クリスマスに買ってもらえるかもしれないから、いい子にしていようね」みたいな感じだったんです。

でも僕、子供がいるんですけど、もうすぐ5歳なんですが、奴らからすると毎日が誕生日で、毎日プレゼント買ってもらってやだみたいな感じっていうのが、なんか友達も買ってもらったら買ってもらなきゃやだなんか言い始めて、世の中って20年、30年で、こんなに変わるんだなと思います。

話を戻して、その時はプレゼントがあり余って、溢れていて、それを交換して、中身を開けて「こんなのいらねえよ」っていうのをやって背景音で笑いが出るって言うのを聞き、アメリカってすげーなと思ったんです。9歳が、それも「すげえなあ」で終わりました。

チャンネルを戻すとアフリカ難民の子どもたちの映像がまだやっていて、もう一回チャンネルを戻すとホームドラマをやっていてっていうことを2、3回繰り返して、「世界中の子供達を笑わせたい」という夢を9歳でもってしまいました。

あの心理学的に言うと「逃避行動」です。現実からの大脱走を行いまして、自分がいじめられてるということから逃げるために、世界中の子供たちを笑わせたい、世界を変えたい、というように当時思っちゃいました。今でもこの夢を持っていて、これをやりたいと思って今の仕事をやっています。

動画Part1(ワカツク 渡辺一馬 )

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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