もくじ
2013年6月11日 TEDIC 門馬優 Part9
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。高校の非常勤講師をしながら、週末は石巻で教育支援活動をしていました。あるとき石巻で活動していたときに、一人の中学生から衝撃的な告白を聞きます。その中学生の話と、荒れていた非常勤先の高校とリンクします。それを境に、改めて今後も子供たちに寄り添った活動を続ける決心をします。
「震災によって救われた」という中学生
そんな荒れている学校で、そのあと3カ月ぐらい勤務をして、同時並行で週末に石巻に通っていました。そういう子たちを何とかできないかと思って、思ってはもんもんとして。
8月の最後に石巻に出張したときに、今度は石巻の生徒から、こんな言葉を聞いたのです。中3の男の子です。何と言ったかというと「先生、語弊があるかもしれないですけど、僕、震災が来て救われたと思っているんですよ」と話したのです。
最初に言っておきます。本当に語弊があるかもしれませんが、悪気があって言ったわけではないです。何で彼はこんなことを言ったと思いますか。僕も分からなかったのです。「どういうこと、どういうこと?」と聞くと、その子は中3の男の子なのですが、もともと中1から不登校だったのです。
震災が来るまでずっと不登校だったのですが、その子自体が不登校なだけじゃなくて、お父さんが震災前にリストラに遭ってました。養えなくなったことがストレスなのか分かりませんが、とにかく酒をあおり続けて、いわゆるアルコール依存症みたいになって、いつも帰っても酒を飲んでいる状態でした。
酔ったお父さんが、お母さんに手を上げる。お母さんは全身あざだらけです。精神的にもうおかしくなってしまっている。「幻覚が見える」とか言うわけです。そんな家庭の状況を見ているお姉ちゃんは、「もうやってられない」と言って家出をしていく。そういう状況のところへ津波が来たのです。
津波が来て何が起きたかというと、家が流されてしまって、そして一家で避難所に行くわけです。避難所に行くと何があるかというと、避難所って、特に初期のころは柵とかがなくて、みんなが身を寄せ合って何とか生活をしている。プライベートも何もないです。でも、だからこそ助かったことがありました。
それは何かというと、お母さんのあざとか、お父さんがすごく酒臭いこととかにボランティアさんが気付くわけです。「あの家庭、ちょっと大変なんじゃない?」といって支援の方が来てくれた。その男の子にも「大丈夫? 何か家で大変なこととかあるんじゃないの?」という話をしたりするわけです。
何かが起こらないと声を拾ってもらえない社会ってどうよ
その男の子はずっと不登校で家にいたので、誰とも話すことができなかった。でも、震災があって、家がなくなって、避難所に行って。そして避難所でいろいろな人たちの目に、ある意味強制的に触れたことによって、自分が「助けて。何とかして」という声を上げなくても助けてもらうことができた。だから、「自分は家も流されたし、大切な物もたくさん流されたし、傷ついたこともたくさんあるけど、それでも震災が来て、人とつながることができて幸せだと思っているんだよ」ということを言ってくれたのです。
その話が、さっきの荒れている学校の子たちとリンクしました。震災が来ないと支援が入らないとか、子供が救われないとか、そんな社会はおかしいだろうとすごく思ったのです。そういう子は多分全国にいると思います。自分からは声を上げられないし、自分に原因がなくてもそうやって切り捨てられていってしまっている子供はたくさんいると思うのです。
僕はその2つの経験から今の学習支援の活動、恵まれないというか、なかなか大変な状況にやむを得ず置かれている子供たちに、一緒に勉強をして、一緒に相談をしたり、一緒に遊んだり、そういうことがもしかしたら震災に関係なくいろいろなところで必要になるのではないか。そう思って、今のTEDICを、今日の今日まで続ける決心をこのときにしました。大学院1年の8月です。TEDICを立ち上げて3カ月後のことでした。
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