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2013年6月25日 ピースボート災害ボランティアセンター 小林深吾 Part5
東日本大震災後、石巻へ派遣され災害復興活動に従事したピースボートの小林さん。ピースボートは国際交流だけでなく、人と人の出会いを通じて、スタッフが新しいプロジェクトを次々に立ち上げています。災害支援も最初は1つのプロジェクトとして始まりました。東日本大震災では被災規模の大きさから、専門の団体を立ち上げて支援活動をしています。
国際交流だけでなく、さまざまなプロジェクトがあります
国際交流の船旅を通して、国際交流だけをやっているわけではなくて、その中でいろいろなプロジェクトを行っています。すごくたくさんあるので、全部は紹介しきれないのですが、その物事に興味があるスタッフがいたらそれを勝手に始めてしまう、もしくは進めてしまうという文化があって。言い出しっぺがそれをやるみたいなところがあります。
例えば広島出身の人がいて、原発・核ということに興味があるスタッフがいて。「被ばく者」と言われる人たちはもう60すぎ、65、66、67ぐらいで、そのぐらいの年齢の人は当時の記憶がほとんどありません。記憶があってお話しできる人だと70~80歳ぐらいなのです。
もう少し時間がたったら、多分原爆の体験を聞くことはできないので、その前に被ばくした人たちの体験をいろいろな世界に伝えようということで、被ばく者の方を船に乗せて、世界各地の寄港地で実際に出会った人たちと話し合うということをやっていたりします。
例えば、ピースボールプロジェクトというのがあります。大学生の子が考えて始めて、もう何年も、何年も続いています。アフリカのある国に行ったとき、大学生の子が、子供たちがサッカーをしているのを見て、そのサッカーボールがペットボトルだったり布を丸めたものだったりしたので、彼は彼なりに何が自分にできるのかということを考えたのです。
それを日本に帰ってきてから、学校にはいろんな余ったボールがあったりするわけです。廃棄してしまうのもあるけれども、きれいにしたら使えるものもあるかもしれないということで、日本でそのボールを集めてきて、きれいにして、船に乗ってそのボールを使って現地の人たちと交流するというプロジェクトです。
ほかには、「実際出会う」というテーマを大事にしているので、インターナショナル・スチューデントという人たちを船に乗せたりすることがあります。この写真は、パレスチナの男性とイスラエルの女性の平和運動をやっている人たちです。
イスラエルとパレスチナは、多分、知っていると思いますが、ずっと紛争をしているわけです。その紛争をしている中で、お互いに出会ってちゃんと対話をする場所・時間みたいなものが必要なのではないか。でも、その土地ではなかなか難しかったりするから、国境のない船の中だったらできるかもしれないということで、船の中でやりました。
そうすると結構面白くて、僕を含めて日本の若い人たちは、パレスチナとかイスラエルとかよく分からないわけです。「なぜケンカしているの」とか、「なぜずっと戦っているの」とか、「どっちが悪いの」という問いを純粋に日本の学生は聞くわけです。
彼らからしてみれば、協力してその答えを出さなければいけないわけです。「あなたが悪い」とか「私は悪くない」とか言っていてもしょうがなくて、日本の学生たちに説明するためには、彼らは彼らなりにその歴史を自分たちでまた振り返って説明しなければいけないのです。そういうところも、ひとつの出会いなのかなと思っています。
ピースボートの災害支援
災害支援プロジェクトも行っています。災害支援は1995年の阪神淡路大震災からプロジェクトベースでやっています。プロジェクトベースというのは、震災が起こってから緊急支援に入り、収束したら撤収するというかたちで、単発で行っていました。
阪神とか新潟とか、ほかの国々、関係があるような国々も、災害支援として物を送ったり、お金を送ったりということも行っています。いま現在、アメリカのオクラホマで大きな竜巻がありましたので、そこにスタッフが行って現地のお手伝いをしています。
2011年の東日本大震災以降は、とても大きな震災だったので、継続的な支援をしていきたいということで、プロジェクトベースではなくて、一般社団法人というかたちで一つの団体として、いまは活動しています。
ピースボートは人と何かを一緒にすることが得意な団体なので、ボランティアの人たちを集めて、東京で安全管理のレクチャーをしてチームを作り、そして石巻に来ました。実際に石巻に来てからは、ここの専修大学のテントで泊まって、それぞれ家々へ行って泥かきをしたり、炊き出しをしたりというかたちで活動をしていました。
細かい活動の内容は、多分いろいろな方がされていると思うので、特にここでは触れないですけれども、だいたい延べ人数で言うと8万人ぐらいの人にかかわってもらいました。国際ボランティアとして、日本語をしゃべれないボランティアの人たちを分けていたのですが、その方たちも約3,000人、56カ国ぐらいの人たちが今回ピースボートを通して石巻のボランティアに来ました。
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