3.多様な生き方との出会いが転機に(2013年 ピースボート災害ボランティアセンター)

ピースボート災害ボランティアセンター

ピースボート災害ボランティアセンター 小林深吾 Part3

東日本大震災後、石巻へ派遣され災害復興活動に従事したピースボートの小林さん。大学を卒業した年の4月に参加したピースボートの航海は衝撃の連続でした。年齢、性別、学歴、出身とかに関係なく、それぞれの能力を認め合う世界がそこにはありました。

ピースボートに乗って、ボーダレスな世界に衝撃を受けました

世界一周

ちなみに、もう10年ぐらい前になりますが、こんな航路で行きました。その当時は東京・横浜を出て神戸に行って、これは港の名前ばかりなので国名が分かりづらいと思うのですが、ベトナム、シンガポール、インド、ケニア、ヨルダン、エジプト、ギリシャ。チヴィタヴェッキアはなじみがありますよね。石巻の姉妹都市、ローマに近い所、イタリアです。

マルセイユ、フランスですね。大西洋を渡ってアメリカのマイアミ、ジャマイカのモンテゴ・ベイ、プエルトケツァルというのが……、度忘れした、思い出したら言います。バンクーバー、カナダですね。スワード、アラスカにあるアメリカの国です。これを3カ月かけて一周していきます。

僕にとってみたら、この地球一周の船旅というのがすごく大きな転機になりました。なぜそれが転機なったかというと、この地球一周の船旅を通して、いろんな多様な生き方をするピースボートのスタッフと出会います。例えば、この赤いタオルを頭に巻いている人は、通称レオと呼ばれていますが、僕の中ではとても大切な人です。

彼は最終学歴が保育園卒です。というのは、小学校のときに彼は不登校になり、学校に行かず。そのあとメキシコにおじさんと飛び。メキシコに飛んだ後にそのおじさんは日本に帰り。メキシコで漁師とか、小学校の卒業証書を偽造して通うとか、そういうことをやった人です。

このころ、彼は僕より一つ下だから22歳で、ピースボートのスタッフを16歳のころからやっていて、スペイン語はとてもうまいんだけど、日本語があまりうまくなかったりして。そんな生き方もあるのかというのが僕の中では衝撃でした。今まで生活していて、中学校に行って、高校行って、大学行って、大学を卒業したら就職をして、というのが一般的なパターンで、違う生き方もあるということをそのとき教えてもらったのかなと思います。

その当時、このクルーズを回していたのがすごく若いメンバーで。彼はその当時22歳、プログラムのディレクターといって船内の運営をまとめる人は23歳、ピースボートの代表をやっているクルーズのディレクターが27歳でした。自分とあまり年が変わらないやつらがこんな大きな船を、地球一周の船を動かしているんだと思ったのが、最初すごく衝撃的でした。

学校の勉強は人間の能力の1つでしかない

学校の勉強は人間の能力の1つでしかない

その中で、それぞれいろんな能力があるということもすごく新鮮でした。それは、ごく当たり前のことなのかもしれないですけど、例えばレオは、多分漢字とかはほとんど書けないけれど、すごく人を引き付ける魅力があったりします。

当時23歳でクルーズのプログラムディレクターをやっていた人は、もともと暴走族でほとんど学校へ行かなくて、とび職とか左官屋さんとかをやってピースボートのスタッフになるのですが、彼もすごく指示を出すのがうまかったり、人をまとめるのがうまかったりするのです。そのほかに、例えば「アメリカの大学院を卒業しました」みたいなスタッフももちろんいました。

学校の勉強は一つの能力ではあるけれど、それは一つの能力でしかありません。人によってみれば、人前でお話しするのが上手な人もいるし、人の話を聞くのが上手な人もいるし、人をまとめるのが上手な人もいるし、「そこにいるだけでもちょっとほんわりするよね、この人」みたいな人もいるわけです。いろんな能力がそれぞれ人にはあって、その能力をちゃんと評価してあげて、認めてあげているという空間がすごく気持ち良かったなと思いました。

そのほかには、「年齢とか、性別とか、学歴とか、出身とか、関係ない」と書いてありますが、1,000人ぐらい乗っている船なので、いろんな人が乗っています。それはもう、10代の高校生ぐらいの子から、70~80代ぐらいの年配の人まで、いろんな人が乗っているのです。ただ、船に乗ってしまうと、その人が何歳で何をしている人なのか、年配の人は「自分より年上だな」というのは分かりますが、このくらいの距離だとそれが関係なくなります。

さっきも学生から「老けているから30歳と普段言われる」みたいな話があったけれども、それは見た目じゃないと分からないです。大学の中では学年があって「先輩・後輩」とか、会社の中では「上司・部下」みたいな関係になりがちだけれども、その年齢を越えた横のつながりとか、関係をつくれるというのがすごく面白かったです。50歳ぐらいの「家庭裁判所の調査員をやっていました」という人とも、友達みたいな関係になれるというのが面白かったです。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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