10.泥出しボランティア「マッドバスターズ」

みらいサポート石巻

2013年4月23日 みらいサポート石巻 中川政治 Part9

東日本大震災の津波はガレキだけでなく、汚泥も置き土産にしていきました。家の中や街の中に積もった泥はボランティアの力によって片付けられていきました。そうした泥退治の活動を石巻にいたボランティアたちは「マッドバスターズ」と呼んでいました。

泥出しでも行政と連携が必要でした

あとは泥出しです。これは本当に大きかったです。いろんな活動を紹介していますけれども、やはり圧倒的やっかいなのは、「マッドバスターズ」という泥出しです。ゴーストバスターズにかけて、マッドは泥っていう意味なんですけど、泥退治みたいな感じでマッドバスターズって勝手に呼んでました。

やっぱり初期の頃は本当にこういった泥だらけの活動でした。市役所の方々というのは、民有地に入ったものは絶対に出せなかったんです。なので、家に入って泥だらけになっているのを、ボランティアが公道に出す。公道に出したら市役所が発注した委託業者さんたちが、取っていってくれるということで、行政と民間の連携が取れていました。

ところが、そういうことを知らない方が、よそからやってきて一生懸命泥かきをします。その泥はどこかに持って行かないといけない。ここ空いているといって一生懸命私有地に山のように積み上げて、あとで行政が手をつけられないという例もありました。

そういうのを、また別のボランティアさんが行って、私有地だからよいしょと公道に出す。そうすると、市役所からの業者が来てくれて、ようやく処理場に持っていく。これも行政との連携が必要な活動でした。あるいは業者さんに、ボランティアが近寄るなと怒られたりしながらやっていました。

でもこの活動というのはすごい大事で、目に見える活動です。1日に1,000人も働いたらこんなになるんだっていうことで、いろんな方からも注目をされた活動でもあります。

ボランティアが連携して街中の側溝から泥を除きました

こちらも連携の例なんですけど、側溝清掃というのがかなり大きな部隊になりました。見た目はきれいなんですけれども、やっぱり一面浸水して側溝が泥で埋まっていました。側溝の部分に全部泥が入っちゃうんです。なので一生懸命とっていました。

これが全地域で必要だろうっていうことで、例えばピンク色はアモール石巻さんとか、ここがピースボートさん、これはapバンクさん、リバイブさんとかいうような感じで分けていました。ここの地区は何人でやるよみたいに地区割りをしながら進めていました。私たち石巻災害復興支援協議会のウェブページの「側溝スマイル」(注、現在このページはありません)をクリックしたら、こんなふうにやってたことがわかります。

残念ながら、ウェブページの更新は途中で終わっています。適当なわけではないんですけど、こんだけやった、ピッみたいな感じで、みんな線を書いてやっていたのですが、それが面倒だから斜線で塗りつぶすなんてこともありました。例えば団体同士が知り合いなんで、現場の人がお互いどこまでやったか分かっていました。ここまでやったからといって、ウェブウェブサイトに記録しなくたってよかったのです。

この図は作業のための作業だったので、実務上はこれで調整していたわけじゃないんです。けれども、市役所の方はこれを見て、ボランティアさんここやってるんだからうちはわざわざ行かなくてもいいというような感じで判断するのに使ったりしていました。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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