1.何とかなる、それだけで生きてきました(2013年 め組JAPAN)

め組JAPAN

2013年7月13日 め組JAPAN 河野心太郎 Part1

東日本大震災の被害を見て、災害ボランティアの経験もないのに会社を辞め、被災地へ飛び込んだ河野さん。石巻では「め組JAPAN」という災害ボランティア団体でリーダーをしていました。河野さんは、被災地に来るまでは「何とかなるだろう」という楽観的な見通しを持って生きていたと言っています。それだからこそ、無経験でありながら、2年間も厳しい災害ボランティアに従事することができたのでしょう。

いまの僕は、今までの積み重ねでできています

河野心太郞
河野心太郞さん

NPO法人MAKE THE HEAVENの、め組JAPANという団体の、元リーダーをしていました、河野心太郎と申します。よろしくお願いします。現在、僕は震災があった後、3月22日に石巻に入りました。そこから2年間くらい、復興支援に関かかわっていました。

リーダーをしていたということもありまして、その2年間の活動報告を、日本各地で転々とやらせていただいています。昨日は神戸から、こちらに帰ってきたばかりなんですけど。明後日にはもう、次の四国の愛媛に飛んだりして、けっこう転々としています。では、報告会みたくなるかもしれないんですけど、ゆっくり聞いていってください。

ではまず、自己紹介を、させていただきます。1984年8月1日生まれ。現在28歳で、もうすぐ29歳になります。愛媛県の松山市生まれです。ちっちゃい頃から、けっこう転校とか、親の転勤の関係で、いろんな所を転々としていました。

小学校2年から3年にかけては、親元を離れていました。「山村留学」って、聞いたことありますか。全国各地でそういう制度があるんですけど。村おこしみたいな感じです。子どもたちだけが集まって、子ども達で生活をしていく。先生とかはいるんですけども、そういった田舎で暮らす「山村留学」をしていました。

僕は、高卒なんです。通信制の高校に通いながら、ホームセンターでアルバイトを2年間ぐらいしていました。高校は長野にいたんですけど、卒業後は名古屋へ出て、一人暮らしをしていました。そこからいろいろと、職を転々として、現在に至ります。

もうちょっと、詳しく自己紹介をさせていただきます。今の僕っていうのは、ほんとに今までの積み重ねであって、実は、客観的にみたら、お前大丈夫かっていうような人なんです。それを、ちょっとお話したいと思うんです。

高校卒業してから、親元を離れて、名古屋で念願の一人暮らしを始めました。一人暮らしが始まると、長野に比べて、名古屋は都会でした。自分で働いたら、お金は全部自分のところに入ってくると思って、好きなファッション、バイク、など遊びまくれる。一人暮らしをしていたので、自分の部屋があったり、恋愛したり、同棲したりとか、その当時は、それが自由だと思ってました。

やりたいことが見つからないから海外へ行ってみました

自分探しへ

そうしてると、一人暮らしを始めた時は、何かやりたいことが見つかるんじゃないかとか、何か夢が見つかるんじゃないかっていうふうに思っていたんですけど、結果的に何もなく、2年間があっという間に過ぎていきました。

居酒屋でずっとバイトをしていたんですけど、バイト先のから、正社員にならないかってお話を何度かいただいてたんですが、自分がやりたいことはこれじゃないっていう、当時はすごい生意気なことを言っていました。とはいったものの、何かないかなーとか、何がやりたいんだろう、何か稼げるものはないかなとか、お金落ちてないかなーとか、なんかそんなことばっかり考えて、現実逃避をしていました。

そしたら更に現実逃避に、たどり着きます。日本から飛び出して、海外に行ってみようと思って、海外へ飛び出しました。それまで海外に行ったことは、初めて家族旅行でタイへ連れて行ってもらったくらいです。タイに行った時に、もう俺どこでも行けるなって、その時勘違いしちゃったんです。しかもタイのバンコクだったから、けっこう都会なんです。

20歳の時に、どこか海外行ってみよう、一人で行ってみようっていうふうに、その当時思ったんですけど、もうどこにでも行けるっていうふうに勘違いをしまして、1カ月一人旅をすることを決めました。

旅ブック、あれを持って行ったんですけど、どこに行ったかというと、スペインへ行ってきました。もちろん、スペインのことなんか、何も知らずに行ったんです。バルセロナから入って、マドリードから、いろんな所を転々としました。1カ月後の帰りのチケットだけ持っていたから、一回行ってしまったら、その間帰ることができないんです。

初めての一人旅です。海外は2度目です。貯金はほとんどありません。スペイン語なんか話せません。むしろ英語さえも全然話せないレベルでした。スペインのことをよく知りません。ガウディとかって、有名な建築家いますよね。僕は、ガウディ知りませんでした。

あと、「スペインってどこにあるの」っていう、そのくらいのレベルで僕スペイン行っちゃったんです。まさに、本当に、勘違い野郎だったわけです。ほんとに何とかなるっていう、それしかなくて、それだけで僕は今まで生きてきました。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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