9.「震災後を生きる」という自覚

河北新報

2013年8月3日 河北新報 武田真一 Part9

東日本大震災後の被災地で数年を過ごしたということは、たとえその場所を離れたとしても、この先「震災」とともに生きていくことになります。しかし、震災復興を知ることは、自分の日常を正面から見つめることにつながります。そうやって震災をわがことと捉えることが、「震災後を生きる」という自覚を持つことなのです。

「震災」を背負うということ

おそらく、この後どこで暮らすようになっても、どういう仕事に就くようになっても、石巻で一時的にでも学生時代を過ごしました、暮らしていましたという皆さんは、好むと好まざるとに関わらず、震災のことを、ずっと背負って生きていくことになります。
これからの復興プロセスを具体的に担い、行く末を見届けるのは、皆さんであり、皆さんの子どもたち、孫の世代になるでしょう。そのように考えると、かなり憂鬱な話です。ずっと震災と向き合って生きていかなきゃいけないんですか。ずっと震災を抱えて私たちは生きていかなきゃいけないんですか。結構これは負担だと思います。
非常に重いテーマです。好むと好まざるとにかかわらず、この地域で暮らし、生きていく人たちは2011年3月11日の出来事、そこから始まった様々なことを、ずっと引きずって生きていくことから逃げられないのです。

震災報道から発見した報道のあり方

我々の職場でも、震災報道をずっと続けるんですかという声がやはり聞かれます。そういう記者たちと話す中で私が言っているのは、もともとあった地域課題を震災を通して掘り下げ、取材して伝えていくこと、それは「震災報道であって、震災報道ではない」ということです。それこそが、我々が震災以前から取り組むべきだった報道そのものなんです。

もともと地域にあった課題などをきちんと掘り起こして、それを世に問うていく、発信して解決に結びつけていこうということであれば、それは我々がやらなきゃいけなかった仕事じゃないかと。地方のあり方、普通の人の生き方を問いなおして、考え続けるということは、特別なことではなくて、実はむしろ報道の原点を確認する作業ではないか。そう考えて、仕事をきちんとこなしていこうよ、と呼びかけています。

皆さんにとっても、まったく同じなんだと思います。震災と向き合って生きる、震災を背負って生きるというのは、特別なこと、重荷になることと捉えられますけれども、実は違います。

被災地とつながるボランティアというアプローチ

震災後の時代を生きていくということは、自分が寄って立つところに、思いを深めていく、自分の日常をきちんと見つめるということにほかならないのです。もともと皆さん一人一人が求められていることなんだろう、ということです。

とても観念的な整理をしてしまいますが、そういう捉え方をしていったときに、「震災後を生きる」という自覚というか、視点が見えてくるでしょう。

震災ボランティアということに引きつけて言うと、無償の奉仕活動というだけでは限定した捉え方になります。奉仕という姿勢では、震災との関係はいずれ息苦しくなるだろうし、そういう立場でやっていくという人も少なくなるだろうと思います。

繰り返しますけれども、震災は自分のことである、わがことであるというふうに捉えて、被災地、被災者と自分の関係を確かめるための一つのアプローチと整理した場合、震災ボランティアというのは、もっと幅が広く、気が楽なものになっていくんじゃないかなということです。

従って、ボランティアというアプローチ以外にも、いろんなやり方があって、様々な仕事に就いたりする中でも、震災と向き合って、震災で思ったことを原点としながら生きていくことができます。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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