もくじ
2013年8月3日 河北新報 武田真一 Part8
東日本大震災でも、原発事故でも、沖縄の基地問題でも、私たちが向き合うべき課題は、地域で普通に生きている人たちの視点から発せられています。被災地にいる私たちは「普通に生きる」人たちを大切にするという意識、姿勢を持てる立場にいるのです。
石牟礼さんの言葉から
同じことを、ちょっと別の角度から整理してみます。同じ水俣病繋がりで、水俣病患者の実情を小説で世に問うてきた作家の石牟礼道子さんの言葉を紹介します。潜在的な患者の切り捨てにつながる特別訴訟法による患者救済の仕組みが、一つの節目を迎えた時に、石牟礼さんがテレビのインタビューに答えた言葉が、私の印象にとても深く残っています。
「患者救済で国に何を求めますか」と問われて、石牟礼さんは「分かり合うことですよね」とまず言いました。その後で「この世には、出世など考えず、普通に生きている人が大勢いる。普通に生きている人たちの行く末を思うことは大切です。普通に生きているということは、大切ですよね」ということを、繰り返しました。
「普通に生きている」ということの意味、解釈については、石牟礼さんはその場では何もおっしゃいませんでしたので、私なりに解釈したのですが、引き受けている日常ときちんと向き合っていくこと、自分が担う役割というものをきちんとこなしていること、というふうに理解しました。
土地に生きる、地域に生きる、自分に与えられている日常としっかり向き合って責任を果たす。そういう人たちを大切にする。そういう人たちが住む地域を大切にしましょう、そういうことを水俣病の教訓として残しましょう、ということを、石牟礼さんはメッセージとして、そのインタビューで語ったと、私は受け止めました。
暮らしと、地域を大切にする
実は、震災でも原発事故でも、それから沖縄の基地問題でも、今、日本の中で向き合わなければいけない課題というのは、すべて地方、地域で普通に生きている人たちの視点から発せられています。
問い直すべきテーマは地域発、地方発になっています。土地に生きる、地域に生きる人たちの視点に立って物事を捉え直すこと。そういうことが実は求められている。少し話が飛躍するかもしれませんが、ボランティアというのはまさしく普通に生きる人たちを大切にする、その人たちが暮らす地域を大切にする、そういう点がすべての活動の出発点、原点になっているんだろうと思います。
震災を機に地方の視点、地域の視点から課題の解決策を見いだして、発信していきましょう、そういうことがどうやら求められていますよ、という話をしました。それと「普通に生きる人たちを大切にする」というところから始めましょうよ、ということは、まったく同じことだと思います。
被災地のそばで学ぶ、あるいは暮らすということは、そういうアプローチが、他の地域よりもやりやすい立場にある。たとえ、行動を起こさないまでも、そういう意識、姿勢を確認するだけでも、非常に貴いことなんだろうと思います。
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