もくじ
2013年5月14日 JEN 西村真由美 Part4
東日本大震災の復興支援のためJENの職員として派遣され、気がつけば石巻常駐となっていた西村さん。石巻の半島部では震災によって船だけでなく、多くの漁具も失われました。漁で使う漁網についても全国的に品不足だったのです。西村さんたちJENはスマトラ沖地震の支援経験から、ある方法で支援することで、漁網と漁師の収入の両立させ、この地域のなりわいの再生を促します。
地盤沈下の漁港に必要だったものとは
これは牡鹿半島の鮎川浜に設置したのでが、「牡鹿のれん街」という仮設商店街の様子です。こちらも牡鹿半島なんですけど、泊浜に漁具のウインチを提供をさせていただきました。そこは大きく地盤沈下してしまって、漁船を岸壁に停泊することができないのです。なので、使うたびに陸へ引き上げるっていう作業が必要だったんです。それに労力がかかるということで、巻き上げるためのウインチを支援させて頂きました。
漁網の支援もさせていただいきました。実は今もなんですが漁網の在庫がないんです。漁網を扱ってるお店に、既製品としての漁網がないんです。というのも、この震災で流されてしまった分の漁網をカバーできるだけの在庫が未だに整っていないからなんです。網がなければ漁ができない。ところが部品なら在庫がありました。製品としての網はないけれど、ネットとか、重りとか網をつくるための部品はありました。
そこでJENがその部品を買いましょうと、その買った部品を皆さんにお届けして、漁師の皆さんが網をつくるプロジェクトを、2011年の夏から冬にかけて行いました。つくった網は一旦、JENが買い取ります。そうすると漁網を作成した分のお給料が支払えるのです。そして、一旦買い取った網をもう一度、漁協を通して皆さんに配布する。すると出来上がった網で漁が再開できるっていうプロジェクトなりました。
人間の根本部分の支援は世界共通です
このプロジェクトの良かった点は、男性の皆さんが一同に集まって一緒に作業する機会ができたことです。今でもそうですが、女性と比べて男性で集まることがやりにく状況があります。ただ、同じ目的を持って作業する機会があると、このように集まって話ができるようになります。
さらに、網を編むことは、おじいちゃんぐらいの高齢の方しか知らないような技術だったんです。もし、こういった災害でもなければ、このまま知ってる人が亡くなって、途絶えた技術だっただろうともいわれてます。今回は不幸中の幸いにして、伝統技術を持った高齢の方から若い人に、それを受け継ぐということが、このプロジェクトを通してできたのです。
実はこの漁網のプロジェクトっていうのはスリランカでも同じようなプロジェクトをやったことがありました。インド洋大津波(2004年スマトラ沖地震)の後のことです。同じように漁が生活の中心だったところが、津波で流されてしまったのです。そこでも漁網の部品を配布し、作成し、それに対してお給料を払って、できた網で漁をしていただくというプロジェクトを行いました。
その時もやはり、お父さん同士話し合う話す機会があったことで心のケアになりました。そのプロジェクトのことは、私が震災でこちらに来る前から知っていましたが、まさかの同じ日本で同じようなプロジェクトをやるとは、夢にも思っていなかったんです。やっぱり根本的なことって日本でも、スリランカでも、多分どこであっても同じなんだろうなと、現場で支援活動に携わっていて感じることです。なので、冒頭のご紹介で「海外に行きたくても行けてない」みたいな話がありましたが、もちろん行ってみたいという気持ちはあるんですけれども、恐らく、きっと、どこにいても、人間の根本的なところを支援するお仕事という部分は変わりはないと思っています。
課題を共有すれば、そこに対話が生まれます
次は、コミュニティカフェです。市内で3カ所、立ち上げさせていただきました。このように気軽に集まれる場として活用して頂いてます。また、仮設住宅のサポートもしています。住民が話し合う場を設けて、自治会の形成をサポートさせていただきました。駐車場の問題とか、あるいはゴミの問題とか、色々あります。
しかし、それってひとりで解決はできないものです。そうはいっても行政にお願いするものでもない。そういったときに、自分たちで解決するものだと思うんです。コミュニティで解決することです。このように集まって、課題を共有しあうと、皆さん自然と話し合う形になるんです。それで、私は会計ならできるとか、誰々さん会長お願いしますみになって、割とスムーズに決まることが多かったように思います。
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