もくじ
2013年5月14日 JEN 西村真由美 Part3
東日本大震災の復興支援のためJENの職員として派遣され、気がつけば石巻常駐となっていた西村さん。JENは東日本大震災後の緊急期に、住民さんたちを対象に生活の向上策を実施してきました。そうした支援の現場で、西村さんは、震災でいろいろなものが失われたというのに、復興のために協力し合う住民さんの姿に人間の原風景を映し見たと言っています。
泥だらけの街でも一瞬の幸せが見えました
JENの場合は、避難所よりも在宅の被災者の方が多い地域で活動をしていました。外にテントを建てて、机とか椅子とかも設置して、ちょっとした食堂みたいな感じで炊き出しを運営していました。
この時私が思ったことをご紹介します。ボランティアの人が、炊き出しの準備とかしていると、地元のお母さんがよく手伝ってくれました。そうするとに地元のお母さんや女の人たちがお昼を準備して、お父さんとか男の人たちが泥だしを終えて、ちょっと手を休めるため、お昼を食べに来るという場面がありました。まだ4月とかそのぐらいだったので、周りは泥だらけなんですけど、その光景がなんだかすごくキラキラして見えたんですね。
この言い方は不謹慎かもしれなのですが、なにか人間本来の役割を果たしてるような感じがして、すごく幸せな光景に見えたことを、今でも強烈な印象として残ってます。震災でいろいろものが失われ、人間の元々持ってるものだけが浮き彫りになった、そんな人間の原風景があるような気がしました。この時ずっと支援させて頂いてた地域が、石巻市の鹿妻とか、上釜というところで、それは現在も継続して支援させて頂いてます。
「選ぶ」という行為が、被災者を癒します
避難所では、スキルのある方を現地につなぐということもしていました。震災のあった2011年でも、5月とか6月になれば食べるものはあったんですけど、栄養不足ということで、野菜の配布をしていました。
あとはユニクロと共同して衣料品の配布もやりました。この時、良かったことは、ユニクロはサイズとか色の展開とかが豊富なので、「選ぶこと」ができたことです。やはり緊急期において、「選ぶ」という行為が癒しになったっと、配布した住民の方から言っていただきました。また、仮設住宅にもスターターキットの配布とか、みなし仮設に暖房器具の配布も行いました。
ガレキを収集をする企業さんにトラックを貸与するというプロジェクトもやりました。津波で多くの車が流されてしまって、こういったお仕事で使う車も例外なく流されていました。復旧作業でボランティアがたくさん来て、ガレキとかを手作業で取り除いても、そのガレキを収集して持っていくための車がなかったんです。
その仕事をしている業者さんの車が流されてしまっていて、収集・運搬の仕事もできず、これまで雇用していた人たちを解雇するしかない状況まで追い込まれていました。そういうところへ、トラックを無償で貸与し、活用していただくことで、街の清掃だけじゃなく、雇用を守ることにも貢献することができました。その後もこのトラックは廉価で買い取っていただきましたので、現在も活用していただいてます。
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