3.選択肢があると世界は広がる(2013年 ISHINOMAKI2.0)

ISHINOMAKI2.0

2013年5月28日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太 Part3

東日本大震災を契機に面白い街にリ・デザインしようという思いから、ISHINOMAKI2.0を始めた松村さん。石巻での小中学校時代は、自分の居場所がなくて不自由な思いをしていました。そこで、思い切って他県の高校へ進学しました。石巻という狭い世界から一歩踏み出したことによって、固定された考えから解放され、世の中の広さを実感します。

石巻の小・中学校では「頭のいい子」は居場所がなかった

自己紹介

今まで団体のお話しをさせてもらったのですが、少し自己紹介をさせてもらいたいと思います。いまさらですが、僕は松村豪太と申します。1974年生まれ。先ほどがくぜんとしました。結構今回の講座は、若い方を集めたと思うんですけれども。リストをあらためて見直すと、恐らく僕が最年長なのです。びっくりしました。

ちょっと悲しかったです。39歳になります。生まれたのは日赤病院ですけれども、生まれたとき住んでいたうちは、南浜から少し高台に登った十條製紙――今日本製紙という名前になっています――の社宅です。当時、父親の父親、おばあちゃんちは門脇2丁目にありました。中里小学校に保育所の年長組のときに引っ越しまして、そこから山下中学校と進みました。

最近「スクールカースト」という名前がよくネット上ではやっていますけれども。アメリカの、体育会系でスポーツとかが得意で、コミュニティー能力も高い人を頂点として、だいたいチアリーダーとかがクイーンの立場で上流階級にいて、ヲタクとかが底辺でさげすまれているような状態を指して「スクールカースト」というのが、よくいじめとのキーワードとの関連で語られることもあります。

スクールカーストで言えば典型的なナード、あるいはギークです。ちょっと変わった底辺みたいな感じですか。知識があって、とても頭は良かったのです。ただ、田舎だと頭がいいというのも武器にはならないで、どちらかというと「ガリ勉」というふうにさげすまれるので、隠すような土壌もこの石巻という町にはあります。

このあたりも僕が石巻を大嫌いな理由があるのですが。こういうふうに居場所がない。頭がいいのはしょうがないですよね、とても頭がいいので。ただ、どうしてもそれを隠すことに非常に納得がいかなくて。そういう自己否定される、居場所のない石巻での小・中学校での生活が嫌いでした。

世界はそんなに狭いものではなくて、いくらでも可能性がある

今このスクールカーストというのはいろいろなところで話題になっています。あるいは「いじめ」という言葉も話題になっていると思います。皆さんにも考えていただきたいのですが、多分固定された世界にいるしかないと思うと、こういう状態になるんだと思います。

実は、世界というのは開けているのです。今日、高校生も随分参加していただいていますよね。石巻の高校、今は学区というのがなくなって、いろいろ選べるんですよね。仙台から石巻の高校に来る人もいるし、石巻から仙台に行く人もいる。そういうのはとても大事なことだと思います。いろいろな選択肢があることで、自分の周りの世界だけがすべてじゃないことが分かる。

これって津波によって、今もたらされている世界だと思います。それまでなら、例えば自分は今の学校の成績だと、石巻西校に進学して、西校から専門学校か就職かな、なんていうふうに自分の人生がある程度見えてしまう。何歳ぐらいで彼女つくって、子供が生まれて、結婚して、ということも考えてしまう。実はそんなことないのです。

世界というのはそんな狭いものではなくて、いくらでも可能性があるし、いくらでもやりようがある、いろいろな人と出会える。そういったところが初めから分かっていると、こういうスクールカーストみたいな狭い世界で生まれるような文化が突破できるのではないかと思います。僕も突破してしまいました。

狭い世界を突破したら、そこには楽しさしかなかった

自己紹介

高校はすごくわがままを言って、それまでのそういう人間関係が嫌だったので……、中二病ですね、それまでの人間関係をリセットしたくて北海道の高校に進みました。そこでは全寮の生活なんですけれども、1年生のときには100人部屋という、なかなか体験できない経験をして面白かったです。

毎日が修学旅行みたいな感じです。一応厳しいのです。門限が8時。8時から11時ぐらいまで義務自習という、自習室という所に1年生は取りあえず座ってないといけないという時間があったりして。ただ、規制が強ければ強いほど、それを破るのが楽しいのですね。僕も最初に8時の門限を破って抜け出して、最初にばれて親を呼ばれて、この年の最初の停学も僕でした。

なかなか普通の停学と違って、石巻から北海道まで親が謝りに来なければいけないのです。それは経済的にも負担をかけて。やっぱり僕は頭がいいので、そういうことがちゃんと分かると「なんて申し訳ないことをしたんだろう」と思いながら、自分で寮の公衆電話で――当時は携帯電話じゃなくて公衆電話なんですけれども――お母さんに報告するときにちょっと、だんだん涙が出てきて、「なんて俺は弱いんだ、駄目な人間なんだ」と思いながら。でも、楽しくてしょうがない高校生活でした。

動画 Part3(ISHINOMAKI2.0 松村豪太)

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

関連記事

団体別インデックス

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


最近の記事

  1. 12.東北で手仕事のタネを育てたい

  2. 11.笑顔の最大化がゴールです

  3. 10.OCICAが切り開いた外の世界

  4. 9.売るためにはデザインが鍵だった

  5. 8.鹿のツノでものづくりをしよう

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

TOP
CLOSE
Translate »