東日本大震災から1カ月後に石巻で活動を始めた関西出身の吉澤さん。石巻の仮設住宅でカーシェアリングの活動を始めたきっかけは、山田バウさんからの一言でした。カーシェアリングを始めるには車が必要です。そこで、会社四季報を片手に近所の会社に車の寄付を求めに回りました。
もくじ
2013年7月30日 日本カーシェアリング協会 吉澤武彦Part6
山田バウさんとの出会い
そろそろカーシェアリングに入っていきます。4月の上旬ぐらいやったかな。このメガネかけたおじさんですね。神戸の震災の時に、「神戸元気村」っていう支援団体をやっていて「ボランティア元年」って言葉をつくった人です。
100以上のプロジェクトを、一つの団体がやっていったんです。そのプロジェクトを、今回の震災の時に、同じようなかたちで、様々な団体が展開していった。まさに「ひな型」をつくったんです。
この人、山田バウさんっておっしゃるんですけれども、僕はいろんなことを、この人に教えてもらったんです。神戸元気村の活動が終わってから僕はバウさんに出会ったので、僕には神戸の震災の経験や支援の経験はないんです。
カーシェアリングをやってみたらどうや
4月の上旬位にバウさんから電話がかかってきて、「ちょっと福島の帰りに東京寄ってくれ」って言われたんです。東京タワーの1階で待ち合わせをして、ちょっと話した後に、「もうすぐ避難所から仮設に移って、仮設で今度、自治会ができてくる。その自治会長さんに、カーシェアリングを提案していく準備、今からやってみたらどうや?」って提案されたんです。
僕この時初めて、カーシェアリングって言葉を知ったんです。「ああ今、世間には、良いものがあるんですね」とか言いながら。車がたくさん流されているのを、僕も現場で見ていましたので、「なんか良さそうなので、それじゃあ僕引き受けてやっていきます。」って。そういう5分くらいのやり取りがあって、そこから始まったんです。
僕は今世では車とは縁のない人生を送ろうって思っていたにもかかわらず、このおじさんに提案されて、もう引き受けますって言っちゃった、というのが始まりです。
四季報を片手に車の寄付をお願いする
僕が一番はじめにやったのは、就職活動やっている人は見ているかもしれないけど『会社四季報』一部上場企業の情報が載っているんです。僕はその時、大阪の堺筋本町に、机を一個借りていました。そこはわりと大阪のビジネス街で、四季報を見ていったら、上場企業が近所にいっぱいあったんです。
そこを自転車で、僕はまず、近いところから回っていきました。受付の内線電話で、「秘書課をお願いします」って。社長秘書の人に出てきてもらって、「すみません、ちょっとご相談したいことあるんですけれども、被災地に車を持っていきたいので、この資料、社長に渡してもらって、車もらえるように言ってもらえませんか?」っていう、そういう動きをやっていったんです。
まずは車集めからやと思って。できるのは近所の一部上場企業から、声をかけていくことかなと思って、やっていきました。なかなかうまくいかなかったけどね。
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