東日本大震災後の石巻でカーシェアリングの活動を始めた関西出身の吉澤さん。震災後の1カ月間は福島で、次々とプロジェクトを立ち上げ、現地の人に手渡してきました。なぜそんなアグレッシブな活動ができたのでしょうか。それは、吉澤さんが貫いてきた活動のスタイルが関係しています。
もくじ
2013年7月30日 日本カーシェアリング協会 吉澤武彦Part5
遠くの高校生でもできる活動は何
和歌山の高校生から、「私も何かやりたいんですけど」って、ある日電話がかかってきたんです。「じゃあ避難所のおじいさんとかおばあさん、結構まいっているから、温泉に連れて行ってあげたらどう?」って提案しました。
彼女たちは若いので、福島には来れないんですけれども、募金活動を高校生がめいっぱいやって。避難所のお年寄り、それを温泉に連れて行って、ほっこりしてもらうっていう「温泉でリフレッシュプロジェクト」をやっていきました。
まあまあ、そんな感じで、一カ月やったんですけれども、いろんなプロジェクトを立ち上げて、現地の人や若い人たちに渡しながら、展開していきました。もっと他にもいろいろやっていたんですけれども、なんかちっさいのを言い出したらきりがないので今日は言いません。
3つの活動スタイル
私の動きの特徴としましては、料理ができなくてもカレーうどんやったら作れそうかなってことから始めたりとか、カーシェアリングもそうなんですけども、今いる所から、手元にあるものから始めるっていう。それをやっぱり基本にしています。思い立った瞬間から動き始める。それが僕のスタイルです。
もう一つ、自分の役割が終わったら、さっさと退く。僕がそこに出ばり続けても、僕がいくらそこで経験するよりかは、それをやる気のある人が、地元の人とか、若い人ですね。そういうふうな人の機会になったほうが、地球全体としては良いと思いますので。だから、自分の役割というか、それが終わったなと感じたら、さっさと退きます。
もう一つは、一人なんですね。世間一般では「みんなで力を合わせてやろう!」とかっていうふうな空気があると思うんですけれども、僕のスタイルはあくまで一人です。自分で考えて、自分で行動して、自分でできるところから、自分で決断してやっていくという、これがほんとに僕の動きの中の、一番大切にしているところです。一人になれるかどうか。そこです。
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